父の余命宣告(卵巣癌告知29日目・抗がん剤1クール14日目)

卵巣癌闘病日記
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今日は、いろいろあって疲れた。
今日あったことは、一生忘れないだろう。

病院からの電話

朝から父の担当医から電話。
「毎日苦しい日々が続くから、鎮静剤を使って苦しみから解放してほしい」と本人から希望があったとのこと。

ご家族で話し合って、どうするかを決めて連絡してください

と言われたけど、電話でサラッと説明されてサクッと結論が出るような話ではない。鎮静剤を使えば、今までのように会話はできなくなるだろうし、余命も短くなるとのこと。先週面会した時ははっきり会話もできていて、リハビリを少しでも頑張ってほしいと思っていたのに、たった1週間でこんなことになってしまうなんて、信じられなかった。すぐに妹と父のパートナーに連絡したが、結論はすぐに出ない。

これは、もう余命幾許も無い、ということなのだろうか。
電話だけでは、医師の真意が全く読めないし、正直なところ、なぜ父がこのように急激に弱ってしまったのか、私が同じ病院に入院していながら、一度も面会できなかった間に何があったのか、普通に会話していた姿からのギャップが大きすぎて、理解が追いつかない。
9月6日に父が元々書いていた「尊厳死の宣言書」が出てきたのもびっくりしていたし、それに沿った形で鎮静剤を投与するというのがいいのだろうけれども、心が追いつかない。どうしたらいいのだろうか。

自分の診察

午後からは自分の診察だった。
9月2日に初めてのTC療法で抗がん剤を投与し、9月6日に退院してから初めての診察日。
血液検査の結果が出るまでに1時間半くらいかかるから、採血した後にソーシャルワーカーさんと父の今後のことで打ち合わせをした。

今朝の電話によって、もうリハビリ病院を探す状況ではないということが分かった。病院内の担当ソーシャルワーカーさんだから、父の病状のことは担当医からしっかり伝わっていた。

ご家族の気持ちはもちろん分かるけれども、
患者本人の苦しみを和らげてあげることがいいのではないか。

とアドバイスされた。まぁそうなんだけれども、なかなか気持ちを整理することができない。

ソーシャルワーカーさんに相談するはずだったリハビリ病院探しの話がなくなり、診察まで時間があったから、病院内のタリーズでランチ。最近、米飯ばっかりだったから、久しぶりにパスタにしようかな〜と迷っていたら、今日から新商品が出ていた。畑の恵みのタコライスのセットと野菜仕立てのラザニアプレートセット。どっちも美味しそう。お米じゃないラザニアをチョイス。サラダがついてとってもヘルシーなラザニアだったけど、量が少な目だった。今の私にはちょうどよかったけどね。

タリーズのラザニアランチ

自分の診察:抗がん剤投与後の経過は順調

血液検査の結果は問題なし。
白血球の値もそれほど下がっていないし、他の数値も良いとのこと。良かった。腹水はまだ溜まっているけれど、前よりはだいぶ減った。手術の傷口も順調に治ってきている。手足の痺れが日常生活にやや不自由を感じるので、痺れを緩和する薬を出してもらった。

次は9月27日に抗がん剤2クール目を投与することに決まった。朝一で血液検査をやって、その結果が良ければ、予定通りに抗がん剤投与となる。寝坊しないように気をつけなくては。

想像していなかった突然の父の余命宣告

診察の後に、父の緩和ケアの担当医を訪ねてほしいと言われた。
朝の電話で聞いた話を詳しくしてくれるとのこと。鎮静剤を使うかどうかはとても重たい決断になるので、直接医師から話を聞きたいというのが本音だった。私の診察日に合わせて、急遽先生方のお話の時間を作ってくださったのはありがたかった。ただ、自分の診察に行ったついでに聞いた話は、とても「ついで」で聞く内容ではなかった。

生きるだけで精一杯の状態

父の容体は、私が先週面会した時とは全く違う状態になっているとのこと。想像できなかった。いつものマイナス思考の悪い癖で、そう言っているだけなのではないかと思いたかった。しかし、どうもそうではないらしい。

痰が絡むと自分で吐き出す力がないので、吸引しなければならず、それがとにかく苦しくて、楽になりたいと本人が希望しているし、先生や看護師から見ても、苦しみを緩和してあげた方がいいという判断だった。

それに、鎮静剤を使用しなかったとしても、体重が35kgまで落ちていて、生命を維持するだけでエネルギーを最大限使っているから、徐々にそのエネルギーが減っていくことになる。つまり回復の見込みがない、ということだった。

自分の診察日に、まさか父親の余命宣告を受けるとは思わなかった。どうしたらいいのか、何が正解なのか、頭が混乱した。

突然の面会時間

父の状況が生死に関わるので、今週の面会機会をすでに使ったにもかかわらず、特別に面会を2人だけ別々に許してくださるとのことだった。鎮静剤を打ってしまうと寝たきり状態になって、もう会話はできなくなる。それほどまでに、父の容体は悪くなっているらしい。

「2人だけ」と言われて、誰にするか本当に迷った。私は先週父に会ったから、妹と父を会わせてあげたかった。コロナになってから妹は一度も実家に帰ってきておらず、1年半以上会っていなかった。しかし、急に病院へ駆けつけられる状況ではなかったので、まずは私が面会し、夜に父のパートナーに来てもらうことになった。

面会に行ってみると、父の意識ははっきりしていた。確かに先週会った時よりも痩せていて、元気はなくなっていた。声も小さくなり、目もずっと開けていられない。すぐにテレビ電話で妹と繋いだ。甥っ子が一生懸命、「じいじ、元気出して!」と声をかけているが、返事は小さな声にしかならない。それでも、誰と話しているかはちゃんと理解していたし、妹の夫が見えた時は、すごく目を見開いて反応していた。

本当にこのまま鎮静剤を使って眠ってしまい、もう元気になることはないのだろうか。

とても事実を受け入れられる心の状態ではなかった。これで会話するのは最後、という現実は受け入れがたく、何を話していいかも分からず、狼狽えるばかりだった。ナースコールをしっかり握りしめ、体勢を変えてほしい時に押す父。看護師さんに背中をさすってもらい、気持ちいい、ありがとう、と言っている父の姿をただただ見ていることしかできなかった。

私に頭を出して、と言って、父はポンポンと撫でた。そして「あとは3人に任せた。」と言った。

最後に何か聞かなきゃと思って、私が聞いたのは父のスマホの暗証番号。自分でスマホを持って、暗証番号を自ら押してくれた。こんなに頭がはっきりしているのに、と思わずにはいられなかった。「来週は妹が来てくれるから、それまで待っててね!」と言って部屋を出てきた。

薬を受け取り忘れた

その後、父のパートナーが病院に到着したので、面会を交代した。1時間半くらい待っていたように思う。パートナーとの最後の会話になると思えば、何時間でも構わないと思った。なんで最後にスマホの暗証番号なんか聞いたんだろう?と自分の最後の会話を後悔しながら、病院のロビーで待っていた。

そして、薬を受け取るのを忘れたことに気づいた。自分の診察が終わったあと、薬局へ処方箋を出したのに、父のことですっかり薬のことは忘れていた。薬局はもう閉まってた。仕方ない。明日、もう一度薬を受け取りに来よう。

この卵巣癌闘病に関するブログは、私個人が感じたことや体験したことを思うがままに書き、自分の記録として残しているものです。治療の方法や方針・考え方・症状などは、病状や癌の種類・個人の体質によって様々ですので、コピーや転載はご遠慮下さい。

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