退院日に途方もない不安に襲われる(卵巣癌告知20日目・抗がん剤1クール5日目)

卵巣癌闘病日記
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今日も曇り。ラジオを聴いていると気温は19度らしい。すっかり夏は終わってしまったみたい。

6時半に採血。久しぶりでちょっと痛かった。腕の血管のあちこちにプスプス針を刺されてきたから、看護師さんもどこにするか場所を選んでやってくれた。この結果次第で今日退院できるかどうか決まる。

体調の変化

入院中の楽しみは朝ドラ。“菅モネ”のことが気になって仕方ない。テレビは有料なので、ネットTVかラジオで済ませるのだけど、朝ドラだけはテレビで見る。今日は久しぶりに朝ドラ受けまであって、気持ち良く新しい週がスタート。

朝食はスクランブルエッグとソーセージとご飯と、デザートにマンゴー! 冷凍のマンゴーを解凍したちょっとシャリシャリしたのが美味しかった。マンゴーと一緒に牛乳も美味しく飲めた。退院の日に美味しい朝食でよかった。

退院はほぼ決まっていたらしい。朝の先生たちの回診で、今日退院ですよねって言われて、そうなんだ、と思った。相変わらず便秘が続いているので、酸化マグネシウムに加えて、腸を動かす薬(ピコスルファート)を出してもらった。あとで説明に来てくださった薬剤師さんに聞いたら、便秘の原因はおそらく吐き気止めの点滴だろう、ということだった。てっきり抗がん剤のせいだと思っていた。1週間くらいで吐き気止めの影響はなくなるみたいだから、数日で改善するだろうと言われた。いろんなものが体の中に入ってくるから、何が原因で起こっていることなのか、分かりにくい。次回の抗がん剤投与の時は、早めにお腹の薬を飲んでおくと良いみたい。

足の痺れがちょっと強くなってきたように感じる。ゆっくり一歩ずつ歩かないと、躓きそうになったり、ふらふらと横によれたりする。退院前にシャワーを浴びて服を着替えて、いつものスニーカーを履いたら、足の感覚が全然違う。今までどこでも早歩きや小走りでガガーッと移動していたけど、これからは無理だ。時間に余裕を持って動かないとダメ!! これは遅刻常習犯という私のダメダメ習慣を直すきっかけになるかもしれない。

病院のソーシャルワーカーさんに相談

父の診察まで時間がだいぶあったので、できることを先に。
まず、病院内のソーシャルワーカーさんに今後の生活について相談してみた。病気で介護が必要な父の生活と、抗がん剤治療をしながら生活する自分のこと、どんな制度や給付金があるのか、何から手をつけたら良いのか、とにかく頭の中がこんがらがっている。

この病院には「がん相談センター」があって、ソーシャルワーカー、ファイナンシャルプランナー、ケアマネジャーなどが連携してサポートしてくれるシステムがある。治療をしながら日常生活を続けてゆくことについて、様々なやり方や考え方をアドバイスしてくれる。ちゃんと担当者がついてくれて、継続的にサポートしてくれるのは本当に心強い。

退院直後に相談センターへ伺ったら、すでに父の担当者がいるとの事! 父の主治医の先生から、相談があるかもしれない、と事前に連絡を入れてくれていたらしい。なんと気の利いた対応!!びっくりした。担当になって下さったソーシャルワーカーさんは、うちの家庭の事情を把握した上で、父の生活のことと私の生活の両方をトータル的に見て、どのようにしていったらいいか、今何をすべきか、一つずつ丁寧に説明してくれた。

久々のカフェタイムでの衝撃

ありがたいお話を聞いてホッとしたところで、久しぶりに病院内のカフェでランチ。いつもならパスタセットを頼むところだけど、食べきれそうもなかったからサンドイッチと甘いハニーミルクラテにした。甘い飲み物も超久しぶり。いつも来ていたカフェが退院後だとなぜか新鮮に感じる。

ところが、サンドイッチのプラスティックケースがなかなか開けられない。手にも痺れがきているらしく、力が入らない。これはちょっとショックだった。店員さんにお願いして開けてもらった。こういうことも経験してみないと分からないもんだな。きっとお年寄りにとっても開けるのが難しいんだろうなと思った。

今まで全く見えていなかった「バリア(障壁)」が目の前にたくさんあることに気づき始めた。新しい学び。これからもっともっと気づくことがあるだろうと思う。

父の診察

父に会えると思っていたけど、会えなかった。病室から出られる状態ではないらしい。想像していた以上に状況は悪かった。担当の先生から、父の様子を詳しく伺った。

まず、食事ができない。筋力低下が著しく、嚥下ができず、ものを飲み込むことができない。ゼリー状のものを一口飲むのがやっとだとか。あとは点滴で栄養を維持している。

そして、歩行もできない。さらに、せん妄がひどいらしい。入院中におかしなことを口走るのはよくあることだけれど、思い込みが激しい性格で、もともと攻撃的な口調で話す癖があるから、機嫌が悪い時はきっと先生や看護師さんにかなりキツイことを言っているのだと思う。

要は、リハケア病院に転院してくださいってことだと理解した。治療できることは全てやっているので、あとは筋力や気力の回復を促すしかない、ということだと思う。
ずっと会えず、どんな顔をしているのか、私のことは分かるのか、話はできるのか、先生にいくら聞いても聞いても分からないことだらけ。コロナ禍でなかったら会えたのに。

父のパートナーからいろんな書類を受け取った。介護申請書障害者手帳の申請書人工肛門に関する書類やパンフレット、それと、父が書いた「尊厳死の宣言書」。こんなものを用意していたんだ、と驚いた。私もこういうことをしっかり考えておかなければならないんだと思った。

途方もない不安との戦い

退院日にもかかわらず、いろんなことがありすぎて疲れた。今までも事務作業はサクサクとやってきたから慣れてるけれど、なんとなく心が追いついていない感じ。自分の体調、今後の仕事や給料のことだけじゃなくて、父の介護とそれを支える体制、お金のこともすごく心配。できることからやるしかないと思って目の前のことをやるんだけど、途方もない不安が押し寄せてくるのをどこかで押し殺しているような感覚。

なるようにしかならない。今日は疲れたから早く寝る。明日から自宅で普通に過ごすことがはじまる。

この卵巣癌闘病に関するブログは、私個人が感じたことや体験したことを思うがままに書き、自分の記録として残しているものです。治療の方法や方針・考え方・症状などは、病状や癌の種類・個人の体質によって様々ですので、コピーや転載はご遠慮下さい。

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