あけましておめでとうございます。
今年もガンガン水球を追います。
ハンガリーの新年は、とても静かにやってきました。
私はハンガリー人の友達の家のパーティーに参加し、そこで一緒に年を越しました。
ゆっくり食事をして、ワインを飲みながら過ごし、年明け3分前にテレビをつけ、
0時ちょうどにシャンパンを開けて、乾杯!!
そして、ワーッと騒ぐのかと思いきや、テレビのオーケストラに合わせて、
全員国歌斉唱。
なんとしっとりした年越しなんでしょう。
ハンガリー人たちは、「我々はマジャル人である」という誇りを強く持っています。
それは、ハンガリーの歴史に関係があります。
もともと騎馬遊牧民族であったマジャル民族が紀元5世紀頃、
ウラル山脈あたりから西へ移動を始め、現在の地であるカールパチア盆地を征服したことからハンガリーという国は始まりました。
しかし、その後、オスマン・トルコに占領されたり、
絶対主義国家ハプスブルグの植民地となったりし、
第一次世界大戦後に、やっと待望の独立を果たしました。
しかし、敗戦国として国土の71%が取られ、約350万人が国外に取り残されました。
それから80年以上も経った今になって、その国外に取り残されたマジャール人たちに
ハンガリー市民権取得を可能にする法令を制定するかしないかの決める住民投票が
行われています。
マジャール人としての自覚を強く持っていることの証ではないでしょうか?
年が明けた後、Budapestの繁華街に出ましたが、爆竹や花火をつける若者で溢れ、
道や広場はゴミが散乱し、新年を迎えて騒ぐ人たちがたくさんいました。
ハンガリーでは、クリスマスは家族と、新年は友達と過ごすのが一般的だそうです。
私も例外なく、ハンガリー人と同じように楽しく新年を迎えることができました。
年末のハンガリー女子代表の練習を連日見学したり、
ハンガリー水球連盟へお邪魔して、会長にインタビューさせてもらったり、
なかなか充実した日々が続いていましたが、
年が明けても、水球はほとんど休みがありませんでした。
1月7~9日、「マルギット島グランプリ2005」が開催されました。
この大会は、ハンガリーのスイミングクラブ、UTEの120周年記念を祝うイベントで、
ヨーロッパの4チームを招待して、ブダペストのマルギット島で行われました。
参加チームは、ヨーロッパ三カ国から各1チームずつ【Spandau 04 BERLIN(ドイツ)、
Partizan Raiffeisen BELGLRAD(セルビアモンテネグロ)、
C.N.A-Barceloneta(スペイン)】、そして、ハンガリー国内一部から3チーム
【UTE-VB Leasing,TEVA VASAS Plaket,Brendon ZF EGER】で、
3日間の総当り戦が行われました。
女子はハンガリー国内リーグの上位4チーム【Domino-BHSE Polo、Dunaujvarosi Foisk-ELCO、Szentes VK、BVSC】が参加し、こちらはトーナメント戦でした。
入場料は1日1200Ft(約600円)、3日間通しで3000Ft(約1500円)。
内容だけで言ったら、ユーロリーグやLENカップとそう変わらないレベルですし、
試合数も3日間で15試合。女子も含めると19試合ですから、お安いでしょう。
しかし、1チーム、1日2試合ずつの強行スケジュール。
さすがの私も、途中で抜けてランチ休憩してしまいました。
選手たちがいかにタフなのか、見せ付けられましたね。
バルセロナのチームが来たこともあり、私は久し振りにスペイン語が話せると思い、
ワクワクしていました。まだまだ、完璧に喋れている訳ではありませんが、
2歳児レベルのハンガリー語に比べれば、百倍マシです・・・。
しかし、彼らより先にスペイン語を話したのは、ドイツでプレーをしている
スペイン代表選手Gabrielとでした。
私は、彼がドイツでプレーしていることは知っていましたが、
まさか、ブダペストで再会するとは!?
今シーズンは、彼のプレーが見られないと、がっかりしていた矢先の出来事でした。
彼は、アップしているときに、私の存在に気付いてくれ、手を振ってくれたのです!!
試合後、今、ここに住んで、水球を見てると言うと、「本当に水球バカだ!」と一言。
この3日間、彼の応援をしたのは言うまでもありません。
試合はもちろんハイレベルなものばかりで、非常に激しいものでした。
結果はハンガリー水球連盟HPにありますので、参考にしてください。
http://www.waterpolo.hu/ →2005 Sziget Grand Prixへ。
ほとんどが、2点差、3点差で、同点の試合も何度かありました。
大きな大会というわけではないにもかかわらず、どのチームも手抜きすることなく、
すべてが熱戦となりました。
ここ数年、水球のプレー自体が激しくなってきていることは、FINAも認めており、
それに伴い、レフリングの傾向も変わってきています。
この大会のレフリーたちは、おそらくハンガリーの一部リーグを担当していると思うのですが、疑問に思う判定が何度も見られました。
明らかに、選手たちに押されているレフリーもいました。
実際、いくつかの試合で、選手同士が喧嘩をしていましたし、
最終試合では、乱闘にまでなりました。
レフリーが試合をコントロールしきれなかったのでしょう。
ブダペストでプレーしている友達は、ハンガリーのレフリーのレベルは低いと言っていました。
連盟にハンガリーのレフリーシステムについて聞いたところ、
かなりしっかりとした組織があるということだったのですが、もしかしたら、
この大会で、レフリーたちにレベルの高い試合を経験させる意図もあったかもしれません。
とにかく、毎日毎日どこかで必ず試合があるというハンガリーですから、レフリーの数も相当だろうと思います。彼ら全員が良いレフリーだとは限りません。
技術の向上は、知識だけでは成り立ちません。多くの経験が必要となり、
さらに良きアドバイスが重要です。
選手と同じように、レフリーも常に訓練が必要なのですね。
この大会を見て、またさらに水球が激しいスポーツになっているように思いました。
最終日、Gabrielにお別れの挨拶をしようと待っていたら、
表彰式でもらった銅メダルを私にくれました。「はい、あげる。とっときな。」
彼は本当にいい人です。素敵な選手です。
何度もお礼を言って、ドイツでも頑張ってと声援を送り、別れました。
ただのファンの私がメダルをもらうなんて、本当に信じられません!!
2005年もいい年になりますね!
会場で会ったFarago監督が、次回の代表の練習日程を教えてくださいました。
今月も忙しい水球観戦生活が送れそうです。
今回は少し長くなりました。
読んで下さって、本当にありがとうございます。
今年も私から見たいろんな水球をお伝えしていくつもりです。
これからも応援宜しくお願いいたします!!
*にーあや* 感想をお待ちしております
Macky!メールマガジン「Viva Barcelona!」 発行者名:ni-aya 水球に魅せられて早や2年。世界水泳をきっかけに、バルセロナまで来てしまいました。 2年間ここで水球観戦しながら、のんびりスペイン生活を自由気ままに満喫します。スペインが好きな人、水球を知りたい人、バルセロナに興味がある方はぜひぜひご覧あれ!! 2004年のアテネオリンピックをきっかけに、水球が国技のハンガリー・ブダペストに魅せられて移住。日本へ一時帰国するのをやめて、そのお金をブダペスト生活に注ぎ込み、マジャール水球を自由気ままに満喫しています。
コメント