映画『ミッドナイトスワン』〜バレエ監修の千歳美香子さんインタビュー後の個人的まとめ〜

バレエ映画「ミッドナイトスワン」 バレエ鑑賞ガイド
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この秋、バレエファンにとって見逃せない映画『ミッドナイトスワン』が公開された。バレエ監修を務められた千歳美香子さんにインタビューさせていただく機会をいただいた。いろいろなお話を伺ったので、記事に入り切らなかった部分も含めてまとめた。

◉バレエシーンが満載の映画『ミッドナイトスワン』

『下衆の愛』・『全裸監督』の内田英治監督オリジナル脚本で、現代社会の片隅で身体と心に葛藤を抱えながら生きるトランスジェンダーの主人公とネグレクトで母親に愛を注がれずに育った少女の生き様と人間愛を描いている。

主演は草彅剛さんで、初のトランスジェンダー役を熱くも冷静に好演して話題になっている。そして、バレエの実力と独特の存在感を見出されてヒロイン役を射止めたのが新人の服部樹咲さん。国内外のコンクールで受賞歴のある若手ダンサーが女優デビューをする本作は、バレエシーンが満載で、華やかで美しい表舞台と厳しい競争に晒されながら日々鍛錬する舞台裏を忠実に描いている。

◉バレエファンはバレエ映画を躊躇する

数々の映画やドラマの中でバレエシーンが扱われることは珍しくないが、バレエファンから漏れ聞こえてくるのは「この程度で仕方ない」というため息である。バレエを専門的に学んだ者なら、背中を一目すれば分かってしまう。本当にバレエのレッスンをしているかどうか。あの有名なハリウッド映画ですら、バレエシーンにガッカリしたのを忘れることはできない。しかし、本作はバレエファンの期待を良い意味で裏切ってくれる。日本商業映画史上初と言って良いほどに本物のバレエをたっぷりと堪能させてくれるのだ。

そのバレエ監修を手掛けたのが、千歳美香子さんである。ロンドンでバレエを学び、オーストリア・グラーツ州立オペラハウス・バレエ団、新国立劇場バレエ団で踊ってきた経歴を持ち、お母様はバレエ衣裳を製作していたという生粋のバレエ業界人である。2004年の『花とアリス』に始まり、2018年『プリンシパル』や『億男』など、これまで数々の映画やドラマのバレエシーンを指導・監修している。今や映画でバレエ指導といえば、千歳美香子さんが第一人者だろう。その彼女が自信を持ってお勧めするのが映画『ミッドナイトスワン』なのである。

◉服部樹咲との奇跡の出会い

バレエダンサーを目指す一果役は、「バレエが踊れる」という条件でオーディションを開催し、服部樹咲さんとの奇跡のような出会いが生まれた。千歳さんは、1000名を超える応募者全員の履歴書と映像を見て、バレエのレベル順に4つに分け、監督やスタッフと共に審査に臨んだ。その最上位グループに服部さんがいたのだが、驚くなかれこのグループ全員がユース・アメリカ・グランプリ(毎年ニューヨークで行われる若手ダンサーのためのバレエコンクール)の国内予選入賞者だった。当時中学1年生だった服部さんは事務所に所属していない一般人。演技審査はあったものの、内田監督は最初に彼女を見た瞬間から雰囲気がぴったりだったと語っている。運命に導かれたように服部さんは一果役に抜擢された。

キャストが決まると、それぞれの役とストーリーに合ったバレエダンサーとして育てることが千歳さんの大きな仕事である。バレエダンサーの体を作ることは、並大抵のことではない。特に成長期の服部さんは、オーディションの時から15センチほど身長が伸び、骨と筋肉の成長がアンバランスになりやすい時期だったため、バレエレッスン以外に体づくりのためのトレーニングも必要だった。成長に合わせたトウ・シューズの選び方や怪我をしない体の使い方も指導した。さらに、これまで育ってきたバレエの世界だけでなく、初めての映画撮影が加わり、精神面のフォローや業界での人間関係やバレエを指導して下さっていた先生や教室との調整など、きめ細やかなサポートをする。代わりのきかない唯一無二の存在である服部さんには、決して無理はさせられないが、バレエ技術を磨いて説得力のあるバレエダンサーの体になってもらわなければならない。その匙加減に大変苦労したそうだ。

 一果や凪沙だけでなく、バレエ教室の生徒やバレエ講師など、バレエに関わる全てのキャスティング、レッスン指導、振付、衣裳、メイク、美術、照明、役の設定や背景の裏付けなど、細部まで見落とすことなく準備し、撮影に臨む。その過程はまるでバレエの舞台を作り上げていくかのようだ。

しかし、その努力を無にするようなことが世界中で起こった。新型コロナウイルス感染症である。撮影が中断している間は、オンラインでレッスンやトレーニングを続け、体力や筋力の維持、技術の向上を図った。千歳さんだけでなく、本作に関わる全てのキャスト・スタッフが、その時できることを考えて行動し、本作の完成へ漕ぎ着けたのだろう。服部さんはラストシーンまで見事に踊りきり、等身大の本物のバレエを存分に見せてくれた。

◉バレエを監修するということ

それぞれの役のバックグラウンドについて深く掘り下げて考えることで、動きや台詞、衣裳、小道具などが決まる。一果はどこでバレエに出会ったのか? 実花先生はどんなバレエ人生を歩んできたのか? りんの母親はどんなダンサーだったのか? それを監督やスタッフと共有し、それぞれのシーンで伝えたいことをどのように表現するか考え、形にしていく。

CMやミュージックビデオなどでバレエの映像が使われることはよくある。そこで求められるのはバレエのイメージや世界観であり、プロダンサーがキャスティングされることが多い。しかし、映画やドラマには、まずストーリーがあり、キャスティングがあり、予算があり、時間があり、様々な制約の中で作り上げなければならないため、本作のようにバレエを主軸に置いていない限り、バレエの質を追求できないというジレンマに陥る。映画はバレエ鑑賞よりも垣根が低く、多くの人が気軽に観ることができる。千歳さんは「バレエに人生の全てをかけてきた人間としては、映画の中で初めてバレエをご覧になる方に、本物のバレエを伝えたいという気持ちがある」と語る。バレエ業界の視点から見てOKかNGか、その判断ができるのは現場にいる千歳さんしかいない。映画の中で伝えることを尊重しながら、様々な制約の中で本物のバレエとして成立するギリギリのところを探る。バレエがストーリーの重要な要素になっている本作にとって、なくてはならない仕事を担っている。

一果が人形の「アルレキナーダ」から洗練された「白鳥」へと変化する姿を際立たせたいという監督の意図があった時のこと。千歳さんは、実花先生のコンクールに賭ける思いや美的感覚からすれば、極端に派手なメイクや衣裳はあり得ないと考え、実花先生が一果のメイクを途中で直す設定にした。また、凪沙が一果の髪をとかして母性を見せるシーンでは、本来セミクラ(古典バレエの髪型)を作るのに髪はとかさないが、衣裳替えの時に髪を結い直す設定にした。

バレエ界から見れば、コンクールでオデット(白鳥)を踊ることはほとんどなく、一果が出場するユース・アメリカ・グランプリのジュニアクラスで「白鳥のヴァリエーション」は選択できない。しかし、本作では一果が憧れの「白鳥を踊る」ことが大きな意味を持つ。そこで実花先生の台詞を新たに加え、バレエ界のセオリーを顧慮したストーリーに仕上げている。

千歳さんがバレエ監修をする上で大切にしていることは、映画全体のテーマや各シーンのストーリーや設定を踏まえた上で、バレエでの裏付けが成立しているかどうか、だという。バレエ経験者は、バレエの技術や表現に完璧を求めてしまいがちだが、映画の中でそのシーンの目的は何か、作り手が観客に見せたいものは何か、という事が一番重要である。どんな設定や状況でも、その中で細部にまで気を配り、全体としての真実味を作り出してゆく。それぞれの専門家がそれぞれの立場でできることを紡ぎながら、説得力のある画を作り上げていくのである。

◉バレエ好きにはたまらないリアル感

冒頭、赤いシューズをさらりと結ぶ場面、そこから千歳さんの細部までのこだわりを感じとることができる。とにかく結び方が自然で美しい。トウ・シューズで踊ったことがある者が見れば、ほんの少し順番や形が違うだけで違和感を覚える。バレエ独特の髪型も、習い始めた頃の“ドアノブ団子”から、徐々に頭にフィットさせたシニヨンへ洗練されていくようにし、一果の成長を表現した。

一果が水を得た魚のようにメキメキと上達してゆく様子はレッスンでわかる。秀逸なのは、センターのバットマンタンジュ(脚を出すバレエの動き)で、一果だけがエポーレ(上半身と首)の使い方ができておらず、彼女の性格が垣間見えることだ。バレエを知っている人が見れば、他の生徒たちとの差は一目瞭然で、否が応でも生徒たちの背景を想像してしまうたまらない一瞬なのだ。動きだけで見せる千歳さんのセンスが光るシーンの一つではないだろうか。

一果が廊下や屋上で楽しげにひとりで踊っている姿は、子供の頃のウキウキした気持ちを思い出させてくれる。新しい踊りを覚えたり、役が与えられたりすると、どこでもつい踊ってしまうバレエ少女の性。千歳さんもそんな気持ちを思い出しながら振り付けたのかもしれない。何気ない踊りなのに、一緒に鼻歌を歌ってしまいそうになるほど軽やかなステップなのだ。

そして、凪沙が一果の頭にポンと白鳥の羽飾りを授けるところは、本作の象徴的な場面。羽の付け方は意外に難しく、微妙な角度の違いでヘアバンドのように見えてしまう。凪沙がショーで素早くつけられる形を模索し、千歳さんのお母様が生前製作された羽飾りの中に櫛を仕込んでいる。その美しさは、物語を印象付ける大事なシーンに相応しい。

とにかく千歳さんがバレエシーンのリアル感をとことん追求したことが、どこを見てもわかる。これがバレエ好きには嬉しい。背中だけでも、立っている姿だけでも、見る人が見れば正しいレッスンを毎日続けているかどうか分かってしまうから、誤魔化しがきかない。それがバレエなのだ。立ち方をターンアウト(脚の外旋)したり、タンジュ(バレエレッスンの動き)の後ろ足の向きを直したり、休憩している瞬間もダンサーは重心の位置が高いから、姿勢ですぐにわかる。撮影中、モニタを見ながら細部にまで目を配り、バレエシーンを作り上げていったという。千歳さんがこだわったバレエシーンは挙げればキリがない。バレエファンの心をときめかせてくれるシーンは沢山あるので、ぜひ映画の中で見つけて欲しい。

◉音楽から伝わるエネルギー

千歳さんがバレエ監修をする上で、もっとも重要な要素の一つが音楽である。それぞれのシーンに相応しい曲を選ぶことも大事な役目である。

『ミッドナイトスワン』だけでなく、昨年の『億男』でも楽曲を提供したのが、日本を代表するバレエピアニストの蛭崎あゆみさんだ。パリ・オペラ座やウィーン国立オペラ座で研鑽を積み、現在は新国立劇場バレエ団専属のピアニストとして活躍する傍ら、自らワークショップを主宰し、国内外のプロバレエダンサーやカンパニーから伴奏を依頼される実力者である。

千歳さんが本作の中で、彼女のレッスン曲を起用したのには歴とした理由がある。一般的にバレエ音楽といえば、明るく軽やかで可愛らしいイメージが強いが、蛭崎さんのレッスンCDには、悲しげな曲や不穏な雰囲気の曲、エネルギッシュな曲や重厚感のある曲も多く収められており、表現者として感じる人間の短調と長調のようなものを両方内包しているからだ。バレエの表現には、古典バレエのような絢爛豪華な様式美もあるが、近代バレエの巨匠マクミランのように、社会の中で生きる人間が持っている様々な側面を写す生々しい表現もある。一曲だけを聞けば暗いと感じるかもしれないが、レッスン全体が終わってみれば、蛭崎さんが弾く音が多種多様なスパイスのようにダンサーに降り注ぎ、日々繰り返すレッスンを鮮やかに彩ってくれる。そして、ダンサーたちは多彩な音から大きなエネルギーを享受し、舞台で美しく踊るのだ。

それは内田監督が映画の中で表現してきた人間の生きるエネルギーにも通じる。だから蛭崎さんの楽曲が『ミッドナイトスワン』のレッスンに調和し、共鳴するのではないか。それぞれのバレエシーンで流れてくる曲が、観ている私たちを本物のバレエの世界に誘い、登場人物のストーリーを大きく膨らませてくれるように感じる。

蛭崎あゆみさんのレッスンCD
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◉コミュニケーションと信頼の中で作り上げていく

千歳さんは、あらゆる部署とコミュニケーションをとって連携し、専門的観点から出来ること出来ないことを伝え、共同作業をしてきたことが、バレエシーンの高い完成度に繋がっていると語る。スタッフ一人一人が自分の仕事に誇りとこだわりを持ち、作品に愛を持って集う。その信頼関係がなければ、良い作品はできない。監督はじめ、スタッフ全員がバレエ芸術文化の奥深さを理解し、一緒に作り上げようとしてくれたからこそ、千歳さんの監修が大きく実を結び、生き生きとしたバレエシーンが出来上がっている。

近年、バレエテクニックは著しく向上しており、目を見張るような回転技や足捌き、バランス感覚を持つダンサーは多い。その技術には感嘆するが、心を揺さぶる感動を客席まで届けてくれるダンサーにはなかなか出会えない。内田監督が作る映画と千歳さんが目指すバレエには、本来の芸術が持っている「表現する」という根幹が共通しているように感じる。バレエの世界にある現実の表も裏も真っ直ぐに見つめる内田監督だからこそ、千歳さんの思いがより強く伝わり、映画としてもバレエとしても完成度の高い作品になったのだろう。

◉映画も小説も

映画公開に先立ち、内田英治監督が書き下ろした小説『ミッドナイトスワン』(文春文庫)もぜひ味わっていただきたい。映画では描かれていないそれぞれの人間ドラマが詰まっている。

絶望と希望の狭間で揺れながら、自分らしい生き方を貫く凪沙と一果は、まさに『白鳥の湖』の孤高の白鳥であり、朝になれば白鳥に戻ってしまう悲しくも気高い“オデット姫”を踊る服部さんの才能を余すところなく活かした『ミッドナイトスワン』。バレエが大好きな方も、バレエを観たことがない方も、二人の人生を賭けた煌めく踊りをぜひスクリーンでご覧あれ。

映画「ミッドナイトスワン」公式ページ

映画『ミッドナイトスワン』公式サイト|上映中
トランスジェンダーとして身体と心の葛藤を抱える凪沙は、母に捨てられた少女と出会い、母性に目覚めていく。「母になりたかった」人間が紡ぐ切なく衝撃のラブストーリー。

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