気ままにブダペスト生活 #37

ぶらり旅
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「ユーゴスラビア」と聞いて、何を思い浮かべますか?
戦争、民族紛争、第一次世界大戦、コソボ問題・・・
水球と思った方は、おそらく水球に触れたことのある人だけでしょう。

「ユーゴスラビア」とは、「南スラブ人の国」という意味です。
1991年に解体し、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、
マケドニア、セルビア・モンテネグロになりました。
解体直前のユーゴスラビアは、7つの国境(イタリア、オーストリア、ハンガリー、
ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニア)と、
6つの共和国(スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、
モンテネグロ、セルビア、マケドニア)と、
6つの主要民族(スロベニア、クロアチア、セルビア、ムスリム、モンテネグロ、
マケドニア)と、
3つの宗教(ローマ・カトリック、東方正教=オーソドックス、イスラム教)と、
3つの言語(スロベニア語、セルビア=クロアチア語、マケドニア語)と、
2つの文字(ラテン文字、キリル文字)からなる一つの国家でした。
一つの国として存在していたことの方が不思議なくらい。
私たち日本人には、到底想像すらできない民族、宗教の問題がここにはあります。

さて、なぜ旧ユーゴの話をしたかというと、セルビアへ行ってきたからです。
アテネオリンピックでの初水球観戦が、セルビア・モンテネグロ対ハンガリー。
そして、最後の決勝も同じカードでした。
オリンピックの水球史を見ても、ユーゴは68、84、88年と3回も優勝しており、
1952年ヘルシンキ五輪から、常に優勝候補となる国でした。
そんな水球王国セルビア・モンテネグロのNovi Sad(ノビサド)という町にある
Vojvodina(ヴォイヴォディナ)というチームでプレーしている
舟崎紘史選手に会ってきました。

Vojvodinaはセルビア・モンテネグロの1部リーグ9チーム中、現在4位。
多くの優秀な選手が所属する中で、セルビアの水球を懸命に吸収し、
レベルアップを目指している舟崎選手の姿がそこにありました。
現在リーグ1位は、
ユーロリーグでもおなじみのJadran Herceg Novi(ヤドラン ヘルツェグ ノヴィ)、
2位は私がお正月にブダペストで観戦した
Partizan BELGRAD(パルチサン ベオグラード)で、
偶然にも私が訪問した時は、この両チームとの対戦で、
残念ながら、どちらも大敗でした。

セルビア・モンテネグロ水球には独自のルールを使っており、
8分間×4ピリオドで、通常よりも少し長くなっています。
また、審判に対して文句を言った場合は、選手でも監督でも即退場で、
次の試合は出場できません。
試合時間については、テレビ放送の都合に合わせたものらしく、
リーグ戦以外の試合で、20分間×2ピリオドというものもあります。
92年までは10分間×4ピリオドだったそうです。
ハンガリーと同じように、セルビアにも水球選手養成システムがあり、
スポーツ監督専門大学を卒業した監督やトレーナーたちが、
しっかりとした教育方針で水球選手を育てています。

舟崎選手は、筑波大学を休学して、1年間こちらでプレーしていますが、
当然のことながら、最初からセルビア語を話せるはずもなく、
日本人がほとんどいないところなので、ずいぶんと苦労したようです。
しかし、片言の英語を駆使しながら、徐々にコミュニケーションをとり、
今はちゃんとセルビア語で、チームメイトや友達と話しています。
舟崎選手がこの1シーズンの間に水球も言葉もずいぶん上達したことは、
チームメイトたちがみな認めるところで、
Vojvodinaの監督もとてもいい経験になっているはずだとおっしゃっていました。
また、彼はジュニアの子達にも人気者で、
選手紹介の時は、たくさんの声援がありました。
これも彼の人柄がよく表れていました。
1日2回の練習のほか、ウエイトトレーニング、そして、語学の勉強をし、
毎日必死に努力してきた賜物だと思います。
「例え試合に出られなくても、ハイレベルな試合を間近で観戦するだけでも
 学ぶことはたくさんあるし、客席からではなく、ベンチから見れることも大きい。
 言葉が分かるようになって、監督の指示が理解できるようになってからは、
 より勉強になることが多くなった」
と言っていました。
また、毎週末の多忙な試合スケジュールをこなすことも、
アウェイの試合で10時間のバス移動も舟崎選手にとってはどれも新鮮で、
日本では味わうことのできない貴重な経験となっています。
そしてさらに、毎日セルビア人と一緒に生活することで、
セルビアの生活習慣を体験し、文化を知ることもできます。
舟崎選手の周りに、いつも友達が絶えないのも彼の人徳でしょう。
4月には再び筑波大学に復帰します。
残り少ないセルビア生活を思う存分楽しみ、
セルビア水球をたくさん吸収して帰国することでしょう。

6日間のノビサド滞在後、
私は選手たちと一緒にPartizanのあるベオグラードへ移動しました。
Partizanは、サッカーでも有名なのでご存知の方も多いのではないでしょうか。
監督のDejan Udovicic氏に、インタビューをお願いしたところ、
突然にもかかわらず快く受けて下さり、流暢な英語で答えて頂きました。
14年間Partizanでプレーし、元アメリカ代表監督で、
つい先日クロアチアの代表監督となったラトコ・ルーディッチのもとで、
5年間キャプテンとして、またアシスタントコーチとして活躍していました。
とにかくセルビア水球の中心は、Partizanであり、
ここから多くの良き指導者が生まれ、優秀な選手が育ち、
世界に羽ばたいていっているのです。
今、世界で活躍している旧ユーゴ出身の監督、選手は、その7割がPartizan出身で、
ナショナルチームだけみても、半分はPartizan出身です。
そんなチームの監督をしていることは、実に名誉であるし、やりがいもある。
多忙な上に、優秀な自信のある選手たちを統括するのは非常に難しいが、
監督であり続けることは、喜びだとおっしゃっていました。
これからの目標は、やはりヨーロッパチャンピオンになること、
そして、セルビア・モンテネグロが北京オリンピックで優勝することだそうです。
また、モンテネグロ側のクラブチームとの交流を深め、
国内の水球を活性化したいともおっしゃっていました。

セルビアのメジャースポーツは、サッカーとバスケットボール。
ここでも水球は、一部の人だけのスポーツです。
リーグ戦の入場料も100ディナール(約180円)で、
これ以上高くすると客が入らないのだそうです。

まだまだ情勢も経済も不安定。
しかし、私はセルビアへ行って、実際にセルビア人と会って、話して、
今までのセルビアに対するイメージを払拭しました。
どんな国にも争いの過去はあります。
セルビアは、これからどんどん素敵な国に変わっていくはずです。
だって、セルビア人たちは、とても気さくなのに、マジメで働き者、
それに、来客のもてなしがとっても上手なんですから!!
美しい自然がたくさんあるセルビア・モンテネグロは、
そのうち観光客の溢れる国になることでしょう。
ただし、冬はお勧めしません。
-23℃なんて体験するとは思ってもいませんでした。

帰りの列車の中、国境を越えたとたんに、
聞き慣れたハンガリー語が聞こえてきました。
濁音が多くて、強い感じのセルビア語から、
歌を歌っているようなアクセントのハンガリー語へ。
隣の国でも、言葉は全く違います。
そのブダペストでの生活も残り1ヶ月。
出会いがあれば別れもある。
なんだか物悲しさを感じた小旅行でした。

ベオグラードでは、来年、水球欧州選手権が行われます。
水球王国のひとつであるセルビアには、機会があったら、また行きたいと思います。
現在、富山で水球指導をしているスロボダン氏が、
昨年末にセルビア遠征を企画し、高評だったようです。
これから、日本とセルビアの繋がりが強くなっていきそうですね!!

Vaterpolo Klub Partizan HP https://waterpolopartizan.rs
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発行者名:ni-aya
水球に魅せられて早や2年。世界水泳をきっかけに、バルセロナまで来てしまいました。 2年間ここで水球観戦しながら、のんびりスペイン生活を自由気ままに満喫します。スペインが好きな人、水球を知りたい人、バルセロナに興味がある方はぜひぜひご覧あれ!!
2004年のアテネオリンピックをきっかけに、水球が国技のハンガリー・ブダペストに魅せられて移住。日本へ一時帰国するのをやめて、そのお金をブダペスト生活に注ぎ込み、マジャール水球を自由気ままに満喫しています。

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