ふわふわと小雪の舞い散るBudapestです。
もうすっかり通常のハンガリーの冬景色になりました。
BudapestのJanos山には、子供も大人も雪遊びをする人が絶えません。
今回は、ちょっと水球から離れて、ブダペスト生活をご紹介します。
私がBudapestに住むきっかけとなったのは、
昨年夏、スペイン代表が出場したUnicum Cupを見に来たときに、
とても印象が良く、いい出会いに恵まれたからです。
スペインチームの通訳をしていたMariannが水球選手だったこと、
Kiraly温泉で声をかけた日本人が、音楽(指揮法)を勉強中の学生で、
水球に興味を持っていたこと、そして、
お世話になったペンションのおかみさんが、冬季に留学するなら、
うちのペンションに住みなさいと言ってくれたからです。
このおかみさん、Erzsebetさん(以降エリさん)は、
大の日本贔屓で、毎年日本に行っています。
15年ほど前に、駐在員の日本人と知り合い、そのサポートをしているうちに、
どんどん日本に惹かれ、日本語を独学で勉強し、
最終的に日本人のためのペンションを経営することにしたそうです。
エリさんと私の出会いは、また偶然で、
私が日本でアルバイトをしていたスポーツクラブのプールに、
東京旅行中のエリさんがいらしたのです。
その時、私はすでにスペイン留学を決めており、
「少し遠いけど、機会があったら」とペンションのパンフレットを頂いたのでした。
そのときは、まさか自分がハンガリーに行くとは思ってもいませんでした。
エリさんはとても気の利くお母さんみたいな人です。
私が夏に夜行バスでプラハから来たとき、目の前に出てきた朝食は、
なんとご飯とお味噌汁と漬物と梅干とお箸。久し振りの和食に感動しました。
あの時、私は旅行者で、観光案内やBudapestの見所などを教えて下さったのですが、
今は留学生としてペンションの一室を借りているので、私は自炊しながら、
エリさんにサポートしてもらっています。
バルセロナから到着した時は、空港まで車で迎えに来て下さり、
翌日には一緒に駅まで行って、定期券購入を手伝って下さいました。
ハンガリー語が分からないと本当に何もできないからです。
そして、日本語を勉強しているハンガリー人学生を紹介してくれたり、
日本語図書館の場所を教えてくれたり、水球のHPやプールの場所を調べてくれたり、
水球連盟に電話をしてくれたり、ハンガリー舞踊の最初のレッスンにも
付き添ってくれました。エリさんは、私のハンガリーのお母さんです。
ここではエリさんの娘さん夫婦も一緒に住んでいて、
2歳の孫のBence(ベンツェ)がいます。
私は彼と一緒になって、「Ez mi?(これ何?)」とハンガリー語の勉強をしています。
夏に会った時は、Ketto(2)しか言えなかったのに、
いろんな単語を話せるようになっていました。
しかも、ここ1ヶ月のBenceの成長は著しく、単語の羅列でしかなかったのが、
今年に入って文章を話すようになったのです。もうBenceには追いつけません。
エリさんと市場で買い物したり、料理を手伝ったりしながら、単語を覚えています。
この間、エリさんがお寿司パーティーを企画しました。
日本語を勉強中のハンガリー人やハンガリー在住の日本人、
そして、近所の友達も誘って、お寿司の準備をしました。
エリさんの家には、日本の物がいっぱい溢れていて、
寿司を作る道具も材料も揃っています。
かっぱ巻き、干瓢巻き、太巻き、握りを作り、日本茶を準備。
日本で美味しいお寿司屋さんに行って食べるのもいいけど、
見よう見まねで作って食べるお寿司も美味しいな、と思いました。
パーティーはハンガリー語と日本語と英語が混ざった会話で、とても面白かったです。
今、ヨーロッパ全体がアジアブームらしく、Barcelonaでも日本食レストランが増え、
日本を紹介する本やテレビ番組も多く見られます。
ハンガリーも同じで、ここ数年日本に関する情報が増えています。
昨年9月に任命されたジュルチャーニ・フェレンツ首相は10月に日本を訪問し、
EU加盟によって、日本との協力関係をさらに強化したい意向を示しています。
東京―Budapest間直行便についても検討しているとか。
又、NHKで「世界遺産 青きドナウの旅」という番組が三日間わたって
生放送されたこともあり、
日本でもハンガリーという国が徐々に知られるようになってきています。
ハンガリー語が日本語と似たところがあるのは、
ハンガリー人がアジアから来たからという説もあり、ハンガリーはとても親日です。
音楽の都としても有名なBudapestでは、リスト音楽院で学ぶ日本人が沢山いますし、
歴史的に見れば、音楽教育を通して、かなり前から交流があったといえます。
こちらで出会った日本人の一人が、ハンガリーの幼小一貫教育芸術学校で
日本文化を教えています。
Balaton湖近くのKeszthelyというところにある「人生の樹学園」です。
ここでは、幼稚園からたくさんの音楽に触れさせ、
小学校に上がると算数や国語のような一般的な学問のほか、楽器を一つ習得する事、
ハンガリー民族舞踊、日本文化などを授業に取り込んでいます。
ハンガリーにはコダーイ・メソッドという教育方法があり、
幼児から、音と一緒に正しい言葉や発音を覚え、次第に音階を増やしていくことで、
童謡や合唱を学ばせるというものです。
これを実現した学校が「人生の樹学園」で、
なんと小学校の校舎は日本人の寄付によって建てられたのです。
その理由は、幼小一貫ならびに縦割り教育を推薦している大熊進子氏と、
ここの園長と教育方針が合致したためで、そこから日本文化クラスができたそうです。
今ではあまり聞かれなくなりましたが、日本のわらべうたが、
コダーイ・メソッドと同じような効果を示し、
2音階で作られたわらべうたを歌いながら、
子供たちが日本語を習得していくのが日本古来の教育法だったようです。
学校を訪問して驚いたのは、生徒たちがみんな「こんにちは!」と挨拶してきたこと、
そして、簡単なわらべうたを日本語で歌えることです。
小学校低学年のクラスでは、あやとりや折り紙、紙ふうせんなどで
楽しそうに歌を歌いながら遊んでいるのです。
もちろん、日本語の意味など分かるはずもありません。
けれど、先生が口ずさんでいるうちに、勝手にみんなが覚えるのです。
そして、学校は学年別に仕切られることなく、授業だけは年齢別に分かれるものの、
教室はすべてつながっているのです。
幼稚園も3歳~6歳の子供たちが年齢に関係なく、8クラスに分かれているだけです。
入園するときに、保護者が選んだ先生のクラスに入れるそうです。
先生は子供社会には入らず、年上の子は自然と年下の子の面倒をみたり、
3歳児が一生懸命、年上の遊びを観察していたりしていました。
幼稚園の先生が、その後の子供たちの成長もサポートできることが
この学園の優れた点で、幼児から思春期まで同じ人が教育に携わることが、
人間性の構築に非常に良い影響を与えるそうです。
子供たちの歌うわらべうたと笑顔が、いつまでも心に残りました。
Budapestに帰ってきてすぐ、エリさんはハンガリーの伝統料理、
暖かい豆のスープBablevesとハンガリーのドーナツFankを教えてくれました。
エリさんが若いときは、農場の牛乳からサワークリーム、バター、ヨーグルトなども
自分で作り、毎朝パンを焼いていたんですって。
「スープも一度にたくさん作らないと美味しくない」と説明してくれます。
「今の若い人たちは、あんまり料理知らない。今はどこでも買えるし、
私ももうサワークリームを作らない。」
私が子供の頃、母と一緒にクッキーを作ったのを思い出しながら、
イースト菌で大きく膨らんだドーナツの生地を平らに伸ばし、
円い型でポコポコと原型を作ります。それを油で揚げるとプクーッと大きく膨らみ、
よくお店で見かけるFankに変身。
「時間があったらジャムを中に入れるんだけど、面倒だから、それをかけて食べて!」
そのジャムももちろんお手製、バラの実ジャムとブルーベリージャム。
アツアツのドーナツは柔らかくて、モチモチしてて、美味!!Benceも大喜び。
豆のスープより気に入った様子。「おいしぃ」と日本語で叫んでました。
考えてみれば、日本でもこんな風景はあまり見かけなくなりました。
ハンガリーに来て、日本食パーティーをしたり、ドーナツ作りをしたり、
日本でもできることなのに、今までやったことのなかった経験を
たくさんさせてもらっています。
さて、エリさんは、来週の月曜から日本へ行きます。
4月の暖かくなる頃、また日本の食材をいっぱい買って帰ってくるのでしょう。
今年は「地球の歩き方ハンガリー」にも掲載されたので、
6月からは忙しくなると思います。
これからもBudapestに来る日本人のために、頑張って欲しいです。
一方、私はエリさんがいなくなって、大ピンチです!!
「もうハンガリー語でお買い物できるから大丈夫よね!」
頑張るしかないです。
最後に少しだけ、水球のことを一つ。
12月からスタートした水球ロト(くじ)を調べてみました。
リーグ戦の各試合で、勝利すると思われるチームと、
そのチームが得点すると思われる時間を5得点分予想して、
携帯メールで応募するという仕組み。
一口160Ft(約80円)で、応募した人の中から、最初に当たった人だけが
10万Ft(約5万円)獲得できるというものです。
果たしてどれくらいの人がチャレンジするのでしょうか。
*にーあや* 感想をお待ちしております
Macky!メールマガジン「Viva Barcelona!」 発行者名:ni-aya 水球に魅せられて早や2年。世界水泳をきっかけに、バルセロナまで来てしまいました。 2年間ここで水球観戦しながら、のんびりスペイン生活を自由気ままに満喫します。スペインが好きな人、水球を知りたい人、バルセロナに興味がある方はぜひぜひご覧あれ!! 2004年のアテネオリンピックをきっかけに、水球が国技のハンガリー・ブダペストに魅せられて移住。日本へ一時帰国するのをやめて、そのお金をブダペスト生活に注ぎ込み、マジャール水球を自由気ままに満喫しています。
コメント