2002年7月に上演されたデレク・ディーン版「ジゼル」は、ロマンティック・バレエのスタイルを重んじたドラマ性の強い振付です。特に第2幕は、ジゼルの魂がよみがえるというあり得ない状況を信じさせてくれるような、綺麗なだけではない独特の演出が観られます。
私は1幕の貴族役、2幕の冒頭にジゼルのお墓参りに行く村娘として出演しました。
STAFF & CAST
【上演】2002年7月26日18:30・27日18:30・28日15:00 @新国立劇場 中劇場
【芸術監督】小林紀子
【振付・演出】デレク・ディーン
【原振付】ジャン・コラリ/ジュール・ペロー
【作曲】アドルフ・アダン
【リハーサル・ディレクター】ジュリー・リンコン
【美術】ピーター・ファーマー
【装置監督】ウォレン・ライス
【衣裳監督】マイケル・ブラウン
【照明】五十嵐正夫
【舞台監督】森岡肇
【制作】小林功
メインキャスト
【ジゼル】下村由理恵/島添亮子
【アルブレヒト】パトリック・アルモン
【ヒラリオン】西岡正弘/中尾充宏
【ミルタ】大森結城/楠元郁子
STORY
第1幕
明るい夏の朝、村人たちはぶどうの収穫に向かっている。その頃ヒラリオンは、若い村娘ジゼルの家に着く。ヒラリオンはジゼルに恋しており、彼女にその愛情の印として花を買ってきた。彼はジゼルの母であるベルタに出会い、その場を去る前に朝の収穫物を差し出す。
そこへ身分を隠し、農夫として登場する貴族アルブレヒトとその従者ウィルフリードが到着する。アルブレヒトはジゼルに出会い夢中になり、永遠の愛を誓う。ジゼルは彼にすっかり心を奪われ、初めての恋に落ちる。
ジゼルを一目見たいと戻ってきたヒラリオンは、恋に落ちる二人の姿を目の当たりにし、嫉妬し逆上する。その結果、けんかとなり、ヒラリオンはアルブレヒトの強い威圧感にたじろいでその場を立ち去る。
みんなが楽しいときを過ごしている頃、ベルタが娘を探しにやってくる。彼女はジゼルに恋人アルブレヒトを紹介されとても心配し、恋に敗れて死んだ者が亡霊となり、恋人を裏切る男たちに復讐するという迷信で二人を引き離そうとする。
狩りの笛の音が鳴り響く。ヒラリオンはウィルフリードがアルブレヒトと普通に話しているのを見て、不審を抱く。彼はアルブレヒトが剣とマントを隠すのに使っていた納屋に忍び込み、アルブレヒトは皆が信じていた農夫ではないという驚くべき事実に気づいてしまう。
クールランド大公の狩りの一行はジゼルの家に着く。一行の中には大公の娘でアルブレヒトの婚約者であるバチルド姫もいる。ジゼルとベルタは一行をもてなす。ジゼルはバチルド姫の美しい衣裳に夢中になり、バチルドは村娘のその様子に驚く。二人の話は盛り上がり、お互いが婚約していることを知る。記念に、結婚祝いとしてバチルドは自分の首飾りをジゼルに贈る。
村人たちは収穫を祝う踊りを披露し、アルブレヒトはジゼルをその祝賀に誘う。ほどなくヒラリオンが現れ、祭典を中断し、アルブレヒトはジゼルが信じているような者ではないと説得しようとする。ジゼルはその話を信じようとはせず、アルブレヒトに否定するよう懇願する。が、彼は否定できない。全てが知れてしまったのだ。
大公とバチルドが到着し、農夫姿のアルブレヒトに当惑する。彼は取り乱したジゼルの目の前で、自分の婚約者バチルドの手を取り口づけする。信じられない思いでジゼルは二人の仲を裂き、アルブレヒトの罪悪感に打ちひしがれた表情を見て、はじめて自分が裏切られたことに気づき、母の腕へと倒れこむ。狂気に支配されたジゼルは彼女を迎えに来る亡霊の姿が見えるようになる。彼女は錯乱して亡霊とともに去ろうとするが、心臓の鼓動が止まるその最後の瞬間に見たアルブレヒトに止められ、彼の腕の中で息を引き取る。
狩りの一行はその場から逃げ去り、その混沌の中、アルブレヒトは真の愛を失ったことに気づく。アルブレヒトは村人たちに追い出され、ベルタは悲嘆にくれる。
第2幕
ベルタが、ジゼルの墓の脇にいる。自殺を図った者は清められていない土に埋葬されるのだ。困惑し衰弱した心に動かされるまま彼女は歩き出し、ヒラリオンを深い悲しみに一人、取り残してしまう。彼は巨大な嵐に襲われ、恐怖心から墓地より逃げ出す。
ウィリの女王であるミルタが現れる。彼女はそれぞれの墓よりウィリを呼び集める。彼女たちは皆、男に裏切られ、失意のうちに亡くなった女性の亡霊である。
ジゼルは墓より呼ばれ、すぐに女王の指示に従った。誰かが墓地に来た音が聞こえると、ミルタはウィリたちを追い払い、自らも姿を隠した。
アルブレヒトが現れる。彼はジゼルの墓を探し、見つけるとその十字架に倒れこみ、許しを請うのだった。ジゼルは亡霊の姿でアルブレヒトの前に現れ、二人は再会する。彼女はウィリたちからアルブレヒトを守るため、人目のつかないところへ連れて行く。
ヒラリオンが再び現れ、ウィリたちに追いかけられる。ミルタは彼を死ぬまで踊らせ、ヒラリオンはやがて立ち上がれなくなる。
女王はアルブレヒトを墓地まで引き込み、彼をも死ぬまで踊り続けさせようとする。ジゼルが戻ってきて、すぐにミルタの力を破り、アルブレヒトを彼女から守ろうとする。真の愛と裏切られた怨念との戦いが続き、ついにアルブレヒトはジゼルの許しとその愛で救われる。
夜が明け、ウィリたちは墓へと戻っていく。ジゼルもまた、墓へと帰らなければならず、その姿は次第に消えていく。彼は留まるよう懇願するが、それは無理なこと。ジゼルは彼女の愛の証に小さな花を残してその姿を消した。アルブレヒトはジゼルの魂が彼とともに永遠にあるという事実に満たされ、新しい朝の日の光に一人残される。
みどころ
小林紀子バレエ・シアター第72回公演「ジゼル」のプログラムに掲載されている、対談「ジゼルの死の真実を深く掘り下げ、ロマンティック・バレエの再生を意図したディーン版の見どころを探る」より引用します。
ドラマ性を深く追求したプロダクション
いろいろな「ジゼル」を見ましたが、その瞬間々々に心を強く動かされるような演出に出会うことはありませんでした。たとえば第2幕ですが、美しいと感ずるものには出会いました。しかし、死んでしまった人の魂がよみがえってドラマが進んでいるのだという衝撃が襲ってくるようなことはなかったのです。
デレク・ディーン(演出・振付者/元イングリッシュ・ナショナル・バレエ芸術監督)
それで私は、そういう感じになれるような「ジゼル」を自分で作らなければいけないと感じたのです。
舞台全体からいろいろなことを感じ取れる
幸いにもイギリスにはニネット・ド・ヴァロワという人が居て、自分でも作品を作り、カンパニーを率いて、バレエとはいかなるものかということのスタンダードを常に示してくれました。
ジュリー・リンコン(リハーサル・ディレクター)
そのためにバレエというものは、二人のスターが真ん中で踊っていればそれでよいのだ、それさえ見ていれば満足だという感覚は一般観客レベルにもほとんどないのです。バレエは全体を見るものだということ、バレエの舞台には不必要なものは出て来ないはずだという感覚が浸透しています。
そういう伝統があるので、真ん中の二人のところだけちゃんと作っておいて、後のところはいいかげんでよいというわけには行きません。そういうことを私は小林紀子バレエシアターにも伝えたいと思ってやっています。
彼女(ド・ヴァロワ)は「どうしてそうなるのか」とか「何をしているのか」という疑問をいつもお出しになりました。その疑問にご自分で答えてくれたり、また皆に答を出させたりして、なぜそうしているのかということを常に考えるように仕向けてくれました。
デレク・ディーン(演出・振付者/元イングリッシュ・ナショナル・バレエ芸術監督)
しかし今はそういうことがだんだん薄れて来ています。「ジゼル」をやる時に、お母さんの役を誰にするか、そんなに重要なこととして考えないのです。そして「この音が鳴ったらこうしてください、悲しんでください」といったかんたんな演技指導でことが足りてしまう。しかしド・ヴァロワ女史はそうではありませんでした。
リハーサルの思い出
当初私は、村娘とウィリーの一人としてキャスティングされていました。しかし、リハーサル前のレッスンで怪我(左足の甲の剥離骨折)をしたため降板しました。早く治すには足に負担をかけないことだと医師に言われ、しばらくレッスンを休んで片松葉杖で過ごし、本番2週間前には歩けるようになりました。
すると紀子先生が、貴族の一人として出演できるようにキャスティングしてくださり、さらに2幕冒頭に母親ベルタと一緒にジゼルのお墓参りへ行く先導をする村娘の役もくださいました。
デレク・ディーン氏のリハーサル
とても明るく楽しいリハーサルの雰囲気をいつも作ってくださっていました。そして、ストーリーの整合性をはっきりと示してくださったのをよく覚えています。同期入団で同い年の島添亮子ちゃんが初めて主演することになった公演だったように記憶していて、とにかく一つ一つ丁寧に物語を作り上げていくようなリハーサルでした。
またジュリー・リンコン先生も一緒にご指導くださり、ジゼルの狂乱シーンで、ジゼルが剣を片手に振り回した後、自分の手が切れて血がついているのを見て我に返るとか、ジゼルにだけウィリーが見え始めているとか、自分がウィリーになり始めているのに気づいて逃げ惑うとか、細かいところまできちんと理解しながら表現できるようにきめ細やかにご指導くださいました。技術的なことはもちろん厳しかったです。
ディーンさんのリハーサルでとても印象的だった場面が2つ。
1つ目は、ジゼルがバチルダに呼ばれて会話をする場面。高貴な方に呼ばれてジゼルがドキドキしながら近づいていくときに、自分の服がバチルダの美しい衣装に触れないようにスカートをたくし上げながら近づくように指導されたところ。私が過去に見た「ジゼル」の映像にはそのような仕草を見たことがなかったので、とても印象に残った。身分の差が圧倒的なんだということが明確に現れる一瞬の仕草だなと思った。細部の表現のこだわりが垣間見え、表現する面白さを感じた。
2つ目は2幕の冒頭、ジゼルの母ベルタと先導役の村娘がお墓参りに行く場面。まさに私が配役された村娘で、ランプ片手に暗い森の中の道を歩いてお墓を探しながら、落ち込んでいるベルタを支えて歩いてゆく。詳しいことは忘れてしまったけれど、何度かディーンさんに見本をやっていただいて覚えた。暗闇での歩き方やランプの使い方、ジゼルのお墓を見つけるときのランプのあて方を何度も注意された。演じることの難しさと面白さを感じた場面だった。
舞台で踊る
本番の日の記憶はほとんどないですが、2幕の村娘役のお墓の探し方が秀逸だったと何人かに言われました。ディーンさんにご指導いただいたことが客席にも伝わったんだと思えてとても嬉しかったです。
それと、私は踊れなかったですが、ウィリーたちのメイクがとても怖かったと観にいらした方に言われました。ゲネの時にディーンさんが「ウィリーの目の周りは黒くしなさい」とおっしゃっていたので、ウィリー役の人たちが目の周りを真っ黒に塗っていたのはよく覚えています。美しいウィリーというよりも恐ろしいウィリーたちという雰囲気にしたかったのだろうと思います。
ディーン版「ジゼル」はとても好評だったように思います。踊っているダンサーたちも納得感があり、踊っていてとても楽しかったですし、観てくださった方々にもそれが伝わったのではないかと自負しています。
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